マー君もびっくり!アストロズの青木宣親外野手(35)が30日(日本時間7月1日)、ヤンキース戦で4―10の9回、日米を通じてプロ初登板を果たした。日本人野手としては15年マーリンズ・イチロー以来2人目。1回3失点ながら、大ブレーク中のアーロン・ジャッジ外野手(25)を最速78マイル(約126キロ)の直球で中飛に仕留めた。


 外野手用の大きなグラブと、1メートル75の小さな体。およそ投手らしからぬ姿の青木が、やや照れくさそうに9回のマウンドに立った。本拠地4万人のファンは大歓声だ。

 「高校生以来ですね。全く違うスタジアムに見えた。チャンスがあったら一回は投げてみたいなとは思っていたけど、やっぱり緊張しました」

 敗色濃厚の展開に、A・J・ヒンチ監督は救援陣を温存するため8回途中に青木に打診した。青木は「I Can Pitch!」と応じ、ベンチ裏で肩慣らし。捕手とカーブ、チェンジアップ、シンカーのサインも決めた。しかし、20球中12球がボール球。「直球しか(サインが)出なかった。打ち合わせした意味がなかった」と苦笑いだった。

 2四球に二塁打、犠飛で3失点。それでも、見せ場はつくった。2死無走者で打席には両リーグ最多27本塁打を放ち、今季大ブレークしたジャッジ。2メートル1の巨漢に「2メートル50、3メートルくらいに見えた」が、初球に空振りを奪い、3球目に最速の78マイルで中飛に仕留めた。「ちょっと力を入れた。空振りを取って、ちょっとその気になった」と青木。三塁側ベンチで見ていたヤ軍の田中も「空振りを取ったのが一番びっくりしました」と勝負を超えて笑顔を浮かべた。

 実は幻の登板があった。6月7日の敵地ロイヤルズ戦。中盤まで2―7とリードされ、元中日のアロンゾ・パウエル打撃コーチ補佐を相手にベンチ裏で15球の投球練習を行った。しかし、味方が追い上げ実現せず。「一度は投げてみたい」との思いを強くした。その時から「投手・青木」を描いた指揮官は「チーム本位で投げてくれた」とねぎらった。

 99年、宮崎・日向高時代にエースとして甲子園を目指した。日米通算2000安打を達成した今季、18年の時を経て上がったマウンドが大リーグとは、想像すらできなかっただろう。佐知夫人ら家族も見届けたプロ初登板。「全然違うところが張っています。肩も、お尻とかも」と苦笑しつつ「ホッとしています。楽しかった」。充実感を全身で味わった。(ヒューストン・大林 幹雄)

 ▼青木の日向高時代 エースとして3年時の99年春季県大会で優勝した。九州大会では優勝した東海大五(現東海大福岡)の前に初戦敗退。10年ぶり2度目の甲子園を目指した同年夏の宮崎大会は、準々決勝で鵬翔に敗れて涙をのんだ。打撃でも主に3番を打つなどチームの中心選手だった。

 ▽イチローのメジャー登板 マーリンズ1年目の最終戦となった15年10月4日のフィリーズ戦。3回から右翼守備で途中出場し、2―6の8回に救援。打者5人に18球を投げ最速89マイル(約143キロ)を計測したが「最低でも90マイル(約145キロ)。ショック」と話した。「スプリットチェンジ」やスライダーなど変化球も多投したが、1回2安打1失点に「二度と投手の悪口は言わないって誓いました」と苦笑。41歳348日で同一試合で二刀流出場した選手としては、メジャー史上最年長記録となった。

 ≪35歳以上でメジャー初登板は日本選手10人目≫大リーグで登板した日本選手は青木で42人目(投手は40人、野手はイチローと青木)。35歳以上でメジャー初登板したのは41歳のイチロー、40歳の高橋建、39歳の桑田真澄、36歳の斎藤隆、藪恵壹、小宮山悟、35歳の高橋尚成、建山義紀、高津臣吾に続き10人目となる。
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