木田画伯、森慎二氏を悼む ムチャぶりにも笑顔 充実2年間に感謝

2017年07月18日 06:30

野球

木田画伯、森慎二氏を悼む ムチャぶりにも笑顔 充実2年間に感謝
急死した西武の森コーチとの思い出を描いた木田画伯 Photo By 提供写真
 日本ハム・木田優夫GM補佐(48)による今回の「木田画伯の球界絵日記」は、6月28日に急死した西武投手コーチ、森慎二氏(享年42)について。GM兼選手などを務めた独立リーグの石川ミリオンスターズで、森氏が監督だった2年間苦楽をともにしました。GMとしてのムチャぶりにも笑顔で応え続けてくれた森氏の突然の訃報。今はただ、懐かしい思い出と感謝の思いが募ります。

 ご無沙汰しています。実は6月19日から4日までアメリカに視察に行っていたので、間が空いていました。視察はアメリカの5都市を回り、マイナーリーグを見てきましたが、その途中、テネシー州メンフィスの空港ロビーで搭乗までの時間にコーヒーを飲んでいると、日本から電話がかかってきました。

 僕が2年間在籍していた石川ミリオンスターズの球団社長からでした。いつも明るく大きな声でしゃべる人なのですが、この時は違いました。少し震えるような声で、西武ライオンズの森慎二コーチが亡くなったことを教えてくれました。

 僕と森コーチとはミリオンスターズで彼が監督兼選手、僕の1年目は選手兼営業、2年目はGM兼選手として一緒に過ごしました。この2年間、練習や試合はもちろん、その他にもイベントやスポンサー回りなど、本当にたくさんの時間を一緒に過ごし、石川県内各地を回りましたが、グラウンド外では穏やかで石川県の人たちに慕われていました。

 ユニホームを着たときは負けず嫌い。気の強いところもありましたが、監督として大胆なところもあり、勝負師として僕にはない器の大きさを感じていました。特に僕がGMになってからの1年間は勝利より選手をプロ野球へ送り込むという目標を掲げ、勝負を度外視した僕のムチャぶりにも笑顔で応えてくれました。

 投手・森慎二」の思い出は、僕が引退するときに明石家さんまさんがミリオンスターズの1日コーチをしてくれて球場が満員になった試合。8回が森、9回が僕という投手リレーをできたことです。そして2人そろって引退を決めたシーズンオフに僕が企画した森慎二ディナーショーを金沢市内で行いました。彼にとっては最後まで僕のムチャぶりに付き合わされた2年間だったと思いますが、僕にとっては彼がいたおかげで本当に楽しくて充実した2年間でした。本当に、ありがとう。 (日本ハムGM補佐)

 ◆森 慎二(もり・しんじ)1974年(昭49)9月12日、山口県生まれ。岩国工から新日鉄光、新日鉄君津に進み、96年ドラフトで逆指名(2位)で西武に入団。02、03年と2年連続で最優秀中継ぎ投手のタイトルを獲得。06年にポスティングシステムでデビルレイズに移籍も、右肩を故障しメジャー登板なし。09年にBCリーグ・石川に入団し、10年から監督。15年から2軍投手コーチとして西武に復帰。NPB通算431試合44勝44敗50セーブ。
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