リオデジャネイロ五輪開幕が間近に迫ってきたが、五輪閉幕後に開催されるリオデジャネイロ・パラリンピック(9月7~18日)も開幕まであと2カ月を切り、出場する日本代表選手もほぼ出そろった。陸上女子400メートル(片前腕切断などのT47クラス)では今季世界ランキング3位(59秒72)の辻沙絵(21=日体大4年)が初代表となった。ハンドボールから転向してわずか1年の美人スプリンターはメダル獲得の可能性を持った今大会要注目選手だ。


 8カ月前までは体育館の中を縦横無尽に駆け回っていた。大きな選手の間を、1メートル57の小さな体でかいくぐり、シュートを決めるのが得意だった。そんなシーンを、右腕に義手をつけてさっそうとトラックを駆け抜ける現在の姿から想像するのはなかなか難しい。昨年まで関東1部リーグの強豪、日体大のハンドボール選手だった辻は今、パラ陸上短距離の有力なメダル候補である。

 ハンドボールと出合ったのは函館市鍛神小5年の時。担任の先生がクラブで指導しており「友達もいて、楽しそう」と入部した。辻は生まれた時から右肘から先がない。ボールを両手でキャッチできない。遊び感覚の小学生時代はさして気にすることもなかったが、当時全国大会常連だった本通中に進むと、それは大きな問題になった。入部時、顧問の小林礼先生から「悪いけれど、あなたに合わせて練習はできない」と宣告された。

 辻は諦めるどころか、逆にこの言葉がうれしかった。「頑張って健常者と同じプレーができれば、対等に認めてもらえる」。左手一本で必死にボールに食らいついた。キャッチできるまで泣きながら練習したこともあった。ただ、キャッチさえすれば、走ることには自信があった。練習では先生の目に留まるように声を出しながら先頭を走った。スピードで相手を出し抜くプレーが認められて、2年生からメンバー入り。全中にも出場した。

 高校進学では強豪だった茨城・水海道二高を選び、3年時の総体ではベスト8。13年4月、日体大にスポーツ推薦で入学した。両膝の前十字じん帯を計3度手術した影響で、1年近くをリハビリに費やしたが、1年生の終盤にはAチームに入り、公式戦にも出場した。

 思いもかけない誘いを受けたのは2年生の夏合宿中だった。20年東京五輪・パラリンピックの開催が決まり、学内では障がい者スポーツへの関心が高まっていた。ハンドボール部の辻昇一監督に「別の競技でメダルを目指してみないか」とパラリンピックへの挑戦を持ちかけられた。ハンドボールでは常に健常者に負けじと努力し、負けない自信もあった。「試合にも出ているのに、どうして?」。すぐには受け入れられなかった。

 前向きな気持ちになったのは引退後のキャリアを考えてからだった。もともと日体大を選んだのも教員志望だから。「ハンドボールと国内しか知らないより、他競技や世界を知っていた方がいろんなことを教えられる」。2年生の15年2月、瞬発力を評価されて勧められた陸上部の門を叩いた。

 当初ハンドボールとの掛け持ちだったが、すぐに芽が出た。初の国際大会となった昨年10月の国際パラリンピック委員会(IPC)世界選手権では100メートルで6位となった。そして、スタンドから目にした光景に心奪われた。男子走り幅跳びで山本篤(スズキ浜松AC)が金メダルを獲得。「表彰式で君が代が流れて、涙が出そうなくらい感動しました。私も1番を目指したい。チャンスがあるのは陸上しかない」。障がい者スポーツで世界と戦う覚悟が決まった。ハンドボール部を辞め、12月から陸上一本に絞った。

 現在、よりメダルに近い400メートルをメインに練習に励んでいる。今年3月、ドバイで出した59秒72は昨年の世界選手権2位に相当する。リオ・パラリンピックでは「100、200は決勝進出、400はメダル獲得」が目標だ。4年後の東京は「メダルを2、3個獲れたらな」と思い描く。

 辻にはパラリンピックの先にも夢がある。今春、400メートルのタイムは部内5番手で、ひそかに狙っていた関東インカレの1600メートルリレーメンバー入りには届かなかった。「今は健常者の背中を追いかけているけれど、いつかは勝負したい。そうなればもっと楽しくなる」。葛藤を乗り越えて障がい者スポーツの世界に飛び込み、ハンドボールからは離れたが、健常者と張り合う意欲は失っていない。広末涼子似の笑顔の裏には今も強烈な負けん気が潜んでいる。
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